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大阪高等裁判所 平成元年(ネ)373号 判決 1990年1月17日

主文

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

控訴人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

第二  当事者の主張

左のとおり付加、訂正するほか、原判決の事実摘示と同一であるからこれを引用する。

(原判決事実摘示の付加、訂正)

一  原判決二枚目について、表一二行目の「一〇月三一日」の次及び裏一〇行目の「八月二三日」の次に、それぞれ「まで」と付加する。

二  同四枚目表について、五行目の「被保険者、主契約の被保険者」を「その被保険者、主契約の被保険者」と改め、七行目の「被保険者」を「その被保険者」と改め、一二行目の「五月二〇日」の次に「(以下の事実摘示中の記述はすべて同日の出来事であり、以下原則として時刻のみ記載する。)」と付加する。

三  同六枚目表一二行目の「同人」を「甲野」と改める。

四  同八枚目裏について、三行目の「同人」を「甲野」と、六行目から七行目にかけての「ことからも到底信じがたい」を「ことからみても極めて疑わしい」と、それぞれ改める。

五  同九枚目表について、七行目の「酩酊状態」を「泥酔状態」と改め、九行目の「状態にあった。」の次に「よって、日常的にみられる喧嘩による負傷程度は別として、本件死亡についてまで甲野に重大な過失があったということはできない。」と付加し、一一行目の「限られる。」を「限られるから、本件事故はこれに該当しない。」と改める。

(当審における控訴人の主張)

一  原判決は、本件傷害特約及び災害割増特約に基づく災害保険についての免責事由である重大な過失と犯罪行為について従来の通説及び判例に反する特異な解釈を示し、かつ、それに添う事実認定を行い、被控訴人の請求を認容した。しかしながら、原判決は、事実を誤認し、かつ、免責事由に関する約款の解釈を誤ったものであって、取消しを免れない。

二  本件訴訟で被控訴人が支払を求めているのは、商法に定められた典型的な生命保険契約に基づく主契約保険金ではなくて、主として傷害保険契約の性格を有する災害割増特約及び傷害特約に基づく災害死亡保険金であることに留意する必要がある。

本件保険契約の主契約保険金合計二七〇〇万円は、被控訴人に対して既に支払済みである。なお、右主契約は商法の規定に基づく生命保険契約であるが、控訴人の約款においては、同法六八〇条一項一号の規定にもかかわらず、被保険者が決闘その他の犯罪によって死亡したときを免責事由としていない。これは、犯罪行為をした者に対する制裁は当該本人のみが受けるべきであって、犯罪行為に関係のない被扶養者などにまでそれを及ぼす必要はないという考えに基づき、被扶養者の保護という生命保険の目的に応えようとしたものである。ちなみに、我が国では、現在でもなお多くの生命保険会社が、主契約の約款において犯罪行為を免責事由としている。

原判決は、その根底において傷害特約及び災害割増特約に関して重過失及び犯罪行為に基づく死亡を免責事由とすることは加入者に厳しすぎるとの判断が伏在し、その要件を厳しく解釈すべきであると考えたとも思料される。しかしながら、右に述べたとおり控訴人においては主契約保険金の範囲内では加入者の保護を図っており、現に被控訴人は、二七〇〇万円の保険金を受領していて、保険契約加入の目的をある程度達しているのである。

傷害特約及び災害割増特約(以下「傷害特約等」という。)は、不慮の事故により死亡した場合に保険金の支払をする点においては商法上の生命保険としての性格を有するが、基本的には傷害保険に属し、その契約法上の性質も原則的に傷害保険のそれと同じである。したがって、傷害保険等において被保険者の重過失に基づく事故招致を免責事由とする趣旨は、商法六四一条後段で重大な過失が免責事由とされているのと同一であり、また、被保険者の犯罪行為による事故招致が免責事由とされている趣旨は、同法六八〇条と同一である。

ところで、ある保険契約においていかなる事故について保険者が保険金を支払うことにするかは、対価としての保険料の金額とともに、原則として保険者が自由に決定し得る事柄である。そして、保険事故招致に関する免責条項は、保険事故の範囲を定める約款の条項とあいまって、保険者が保険金の支払をなすべき場合の範囲を具体的に定める機能を持つ。したがって、約款において重過失、犯罪行為を免責事由としているときは、原則としてそれに応じた効果を認めるべきであり、当該免責事由があるために保険者が保険金の支払をすべき場合が殆どなくなり、加入者が保険加入の目的を達し得ないという結果を生じるような場合を除き、通常の意味を基礎として解釈すべきである。この点において、原判決の免責事由についての判断は、従来の学説及び判例が解釈していた通常の意味をはるかに超えており、不当である。

三  原判決は、本件事故当時の甲野一郎(以下単に「甲野」という。)の酩酊の程度を誇張して認定している。

甲野の死亡当時の血中アルコール濃度は、血液一ミリリットル中二・四一ミリグラムであった。右の程度のアルコール濃度は、科学的判定では軽酔に当たり、泥酔とは到底いえない。現に、同人は、本件事故発生の僅か一時間前に友人の浜崎を自宅に送るため五キロメートル以上も事故を起こすことなく車を運転しており、その後の飲酒量は僅かであった。また、甲野は、包丁を持ったB(以下単に「B」という。)を見て直ちに走って逃げ出す程の運動能力と状況判断力があったし、その後自宅へきちんと電話をかけている。甲野が包丁を持ったBに殴りかかっていったのは、酒に酔ったためというよりも、先にBに脅されて逃げ出さざるを得なかったことに対する悔しさからであったのである。

甲野の本件事故当時における飲酒の事実及び酩酊の程度は、重過失ありとの評価に資するものではあっても、その評価を減殺するものではなかった。

四  本件傷害特約等においては、泥酔の状態を原因とする事故も免責事由となっている。したがって、原判決認定のように甲野が泥酔状態であったのであれば、この点において被控訴人の本訴請求は失当である。

五  傷害特約等において被保険者が重過失によって保険事故を招致した場合を免責事由としているのは、原判決もいうように、保険契約の射倖契約的性質に鑑み、保険金の給付が偶然の事故によって左右されるべく、保険団体の構成員相互の公平の見地から信義則上保険金請求権の成立を阻止しようとの趣旨に出たものである。そして、右重過失とは、通常の意味での重過失すなわち注意義務の著しい懈怠があれば足りると解するのが通説及び判例である(なお、最高裁昭和五七年七月一五日判決参照)。

原判決は、右重過失の意義について、被保険者の不注意が著しいばかりでなく、不注意による保険事故招致が故意によるものと同視しうるほど悪質であるため、具体的事案のもとにおいて保険金を支払わせるのが信義則上不当とされる場合であると判示する。しかしながら、不注意の程度を問題にするのであればともかく、これを超えて故意によるものと同視しうる悪質さ云々を論じる必要はない。自殺は商法上も約款上も免責事由とされているが、自殺が悪質かどうかを問わないし、保険金取得の意思のない自殺も免責事由となる(最高裁昭和四二年一月三一日判決・民集二一巻一号七七頁)。問題とすべきは、自己の生命を軽々しく扱うことの反社会性ではなくて、当該保険がどのような原因に基づく保険事故までカバーするかである。本件傷害特約等において、約款所定の不慮の事故とは到底いえない保険事故まで他の保険契約者の出捐によってカバーすることは、予定されていない。

また、原判決は、商法六四一条後段は被保険者が保険契約上自己に有利に行動することによって事故を招致させた場合を対象にしているとして、本件保険契約の締結から本件事故までに二年余以上の期間が経過しており、甲野が本件保険契約を念頭においてBと対決した事実を認め得ないことを重過失否定の根拠としている。しかしながら、右判示は、保険金取得意思のない自殺も免責事由であるとする前記最高裁判決の趣旨に反しており、特異な概念を導入したものといわざるを得ず失当である。

本件において、甲野は、包丁を持っているとはいえ体格的に劣り身体障害者であったBに対して、決闘を挑み棒で殴りかかるという極めて危険な行為に敢えて出ており、その判断と行動に著しい不注意があったことは明らかであるから、甲野に重過失があったことを肯定するべきである。

六  原判決は、本件事故は甲野の犯罪行為によって招致されたものでもないとする。

しかしながら、原判決の判断の前提となっている甲野が泥酔状態にあったとの認定が事実誤認であることは前述のとおりである。また、原判決には、甲野の泥酔が偶発的な出来事であり、保険契約を締結していることが甲野においてBと対決する動機となっていないから、甲野の行為に強度の不法性があるとはいえない旨の説示があるが、これは、免責事由の解釈の範囲を著しく超えて恣意的な事実認定ないし判断を行ったものというべきである。すなわち、保険契約を締結していることが本件闘争行為と関係がないというのは、保険契約締結後一定期間を限っての犯罪行為による死亡を免責事由とした場合には妥当するが、本件のように全保険期間の犯罪行為を免責事由としている場合には評価の対象とされるべきではない。

本件において、甲野がBに対して示した暴行、傷害(商法六八〇条にいう決闘と同視しうる行為である。)と甲野がBの過剰防衛行為によって刺殺されたこととの間に相当因果関係があることは明白であるから、この点においても免責事由が認められるというべきである。

(当審における被控訴人の主張)

一  控訴人は、本件保険契約の主契約保険金が既に被控訴人に支払われているから、保険契約加入の目的はある程度達せられていると主張する。

しかしながら、本件傷害特約等の有する社会的機能や趣旨、目的さらに被保険者の期待などを考えると、右主張は失当である。

すなわち、本件のような災害保障特約は、昭和三八年七月に損害保険会社が全社統一商品として交通事故損害保険の発売を開始したことに強い刺激を受けた生命保険協会が、生命保険会社の全社統一商品として昭和三九年四月から災害保障特約を実施したことを契機として、一般に普及することになったものである。その背景には、交通事故の激増に象徴される現代社会における危険の増大があり、保険制度によって生活の安定を図ろうとする社会的要請があった。本件においても、将来の危険(被保険者の不慮の事故による死亡等)が発生した場合、生命保険金のみでは被扶養者の生活の確保が不可能であることから、特に多額の保険料を出捐して傷害特約等の付いた本件保険契約を締結したのである。したがって、主契約保険金が支払われても、本件保険加入の目的は未だ半分しか達成されていない。

二  控訴人は、保険契約においていかなる事故について保険金を支払うことにするかは原則として保険者が自由に決定し得るとして、約款において重過失、犯罪行為を免責事由としているときは、それに応じた効果を認めるべきであるとし、その規定の意義は通常の意味を基礎として解釈すべきである旨主張する。控訴人の右主張は中西正明教授の論文(商事法務七六八号所掲)を引用したものであるが、右論文の引用にかかる部分は重過失免責条項等の有効、無効に関するものであって、有効を前提としての解釈の範囲、基準などを述べたものではない。

重過失による免責条項を具体的にあてはめるについては、最終的には、裁判所において、保険制度における傷害特約等の歴史的意義、社会的機能、被保険者などの期待等を背景として、附合契約における附合者の保護をも十分に考慮したうえで、信義則に基づく合理的解釈がなされるものである。

以上によれば、免責事由についての原判決の解釈は、従来の学説、判例を踏まえ、保険制度における本件特約の趣旨に適合した極めて正当なものというべきであって、控訴人の非難は的外れである。

三  本件事故当時の甲野の酩酊の程度についての原判決の認定は正当であって、これを非難する控訴人の主張は失当である。

甲野は、本件事故当夜、午後六時頃から午後一一時頃まで延々五時間も飲酒していたのであり、一緒に飲酒していた浜崎はそれまでにも多数回甲野と飲酒したことがあったが、浜崎からみても甲野は著しい程度の酩酊状態であって限界だと思って外に連れ出したというのである。控訴人は、甲野が車を運転して浜崎を送って行ったことを捉えて甲野の酩酊の程度が軽かったと主張するが、これは当地の交通事情を無視した主張である。当地においては午後一一時頃になれば車の通行は殆どなく、甲野のように土地勘があり運転歴の長い者は、酩酊状態にあっても運転は十分に可能であるから、右運転の事実をもって同人の酩酊度が軽かったとすることは誤りである。浜崎の証言によると、甲野の当夜の運転は蛇行運転であったというのであり、また、同人は浜崎を送った後再び焼鳥店「暮六つ」に引き返してビールを飲んでいるのであるから、本件事故当時甲野が相当強度の酩酊状態にあったことは明白である。

また、同人において、自己よりも体力的に劣っているBに南田川内公園で地面にねじ伏せられたこと、包丁を持っているBに対して枯れて腐っている木の棒で対峙し、それを鉄棒に当てて三つに折ってしまうような無茶な振り回し方をしたことなどをみても、甲野の程度が著しかったことが裏付けられる。同人は、本件事故当時血液一ミリリットル中に二・四一ミリグラムのエタノールを保有していたのであり、右濃度は興奮期或いは中等度酩酊の上限である。いずれにしても、同人は運動失調、歩行困難、判断力の鈍麻の状態に陥っていたのである。

四  控訴人は、泥酔の状態を原因とする事故も免責事由であるというが、右主張は独立した抗弁なのかどうか定かでないし、右免責条項の有効性についても多大の疑問がある。仮にこれが有効であったとしても、保険制度の機能、趣旨、目的に照らして厳格に解釈すべきである。すなわち、右条項は、自殺と同様に自ら招いた事故を保険の対象とすることは信義則や公序良俗に反するという見地からその内容を確定すべきである。

本件において、強度の酩酊状態にあった甲野の行為が本件事故の誘因の一つになったことは否定できないが、甲野の死亡自体は、それとは独立したBによる加害行為に基づくものであって、甲野の酩酊との間に相当因果関係が存しない。また、同人は右免責条項に規定されているところの泥酔状態までは至っていなかった。

五  本件について重過失免責を認めなかった原判決の判断も正当であって、この点についての控訴人の主張は失当である。

生命保険、傷害保険、責任保険などでは、保険契約者(又は被保険者、保険金受取人)などの軽過失による事故招致はもとより、重過失によるそれについても免責事由とせず、故意による事故招致のみを免責事由とするのが、世界的にも歴史的にも現代の大勢となっている。

我が国の商法は、生命保険についての六八〇条においては故意だけを免責事由としており、損害保険のみについて重過失を免責事由としている(六四一条)。しかしながら、損害保険会社の傷害保険では、市民交通傷害保険、ファミリー交通傷害保険等において重過失免責を残しているものの、基本的約款である傷害保険普通保険約款については、昭和五〇年一〇月の改正によって重過失免責の条項を削除し、故意だけを免責事由とした。

したがって、現在重過失免責が残存しているのは、一部の傷害保険と本件傷害特約等のみである。

以上のような事情、さらに、保険利用者が今日の複雑な生活環境のもとで自己の不注意が保険によってカバーされることを期待しており、これが現今の保険制度の重要な要素となっていることを併せ考慮すると、重過失の範囲は極力狭く厳格に解釈するのが妥当である。一般に重過失とは殆ど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すことについては、判例上既に確立している。本件傷害特約における免責事由としての重過失の解釈に当たっては、これよりも広く緩やかに解釈すべき根拠はなく、むしろ、前述したところからすれば逆に厳格に解釈すべきことになるのであるから、原判決の判断は正当である。

ところで、甲野の遺族は甲野が殺害されたことについてBに対して損害賠償請求の訴えを提起したが、その第一、二審判決ともBの過失割合を六割と認定し、右第二審判決は確定している。

右事実は甲野において自己の死亡の結果に対して四割の過失責任があったことを意味するものであり、これは本件重過失の有無の判断の有力な資料になることは否定できない。そして、一般に四割という過失の程度は、重過失の範疇に含まれない。重過失の具体的あてはめの判断は、各種保険の社会的・経済的機能に照らし、当該事故について保険金を支払い或いは支払わないことが信義誠実の原則及び公序良俗の観点からみて妥当か否かという見地からなされるべきであるが、右の見地からみても、四割程度の過失のある場合に保険金を支払うことが信義則に反する結果になるとは到底いえない。

六  本件について犯罪行為による免責を認めなかった原判決は正当であり、これを非難する控訴人の主張は理由がない。

裁判例上免責の認められた事例は、被保険者が率先して暴行を加えたもの或いは被保険者が凶器を持ち出して先に加害行為に及んだものであるところ、本件事故は、Bが包丁を持ち出してさえいなければ発生することがなかったものであって、免責事由に当たらないことが明らかである。

また、控訴人は甲野の行動が決闘とも同視しうると主張するが、決闘とは当事者の合意により対等の武器をもってする個人間の闘争をいうのであって、本件はいかなる点からみてもこれに該当しない。

第三  証拠関係<省略>

理由

一  被控訴人の請求の原因1ないし4の各事実(本件保険契約の締結、本件事故の発生等)及び控訴人の抗弁1の事実(本件免責事由についての約款の定め)は、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件事故が免責事由に該当するかどうかについて検討するが、<証拠>を総合すると、本件事故発生の経緯等について次のような事実が認められ(前記争いのない事実の一部を含む。)、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  甲野(当時三六歳)は、本件事故発生当時、長崎県西彼杵郡長与町内において防水工事業を営んでいたが、本件事故が発生した昭和六〇年五月二〇日、友人の浜崎裕二(以下単に「浜崎」という。)と共に、午後六時頃から同町内の焼き鳥店「みどり」ほか一軒で飲酒したうえ、午後九時頃同町丸田郷一〇四一番地三二所在の焼き鳥店「暮六つ」に赴いて飲酒を続けた。B(当時四三歳)は、甲野と遠縁に当たる(Bの亡伯母が、甲野の父正博の二番目の妻であった。甲野は、正博の最初の妻の子である。)が、同日午後一〇時頃同店に来て飲酒し始めた。

甲野とBとは、間もなく顔を合わせ、暫く会っていなかったこともあって雑談していた。そのうち、酩酊してきた甲野が、Bや他の客に対して大声で絡み始めたので、浜崎は、このままでは喧嘩になるおそれもあると考え、甲野を店外へ連れ出した。店外において浜崎が甲野に対して帰宅する旨述べたので、甲野は、自己の運転する車で約二・五キロメートル離れたところにある浜崎の家まで同人を送った後、再び同店に引き返した。

(二)  甲野とBは同店において飲酒しながら雑談していたが、そのうち甲野の機嫌が悪くなりまたもやBに絡み始め、同日午後一一時頃、甲野はBに対して表へ出るように命じた。Bは、そのままでは他の客や店に迷惑がかかることを心配して、甲野の後に続いて店を出て、右両名は付近にある南田川内公園に赴いたが、同所において、甲野がいきなりBの顔面を殴打してきた。そこで、お互いに殴り合う喧嘩となったが、Bは、甲野を地面にねじ伏せ、喧嘩をやめるつもりで立ち上がった。甲野は起き上がってさらにBに殴りかかったが、Bは相手にならないで同所から立ち去った。

(三)  Bは、右「暮六つ」に引き返すべく歩き始めたが、甲野から理由もなく絡まれ、さらに殴打されたことを思い起こしているうち、このままでは同人から繰り返し絡まれるであろうから、この機会に同人を脅して二度と同人から因縁をつけられることのないようにしようと考えるに至った。そして、Bは、自宅に引き返して右脅迫に使用する目的で刃体の長さが約一六・五センチメートルの出刃包丁を取り出し、これを腰付近に差して上着で隠したうえ、甲野を探して右公園や右「暮六つ」に赴いたが、同人を見つけることができなかった。

そのうち、Bは、飲酒代金を持ち合わせていないことに気付き、再び自宅へ引き返して金員を用意し、自転車で右「暮六つ」方面へ向かう途中、同日午後一一時一五分頃、同町嬉里郷四七二番地九所在のポーラ化粧品長与中央営業所(以下「ポーラ営業所」という。)前付近路上で甲野と出会った。そこで、Bが、甲野に対し、右包丁を突きつけて「こらーっ」と怒鳴って脅したところ、同人は驚いて一目散に逃走した。

Bは、前述の目的を遂げたことに満足し、右包丁を携えたまま、自転車をポーラ営業所の隣の駐車場に置いて徒歩で右「暮六つ」に赴き、同店で飲酒しかけたが、他人の駐車場に自転車を置いてきたことが気にかかり、同日午後一一時二〇分頃、自転車を取りに右駐車場へ引き返した。

(四)  甲野は、Bに脅された後、付近にあるスナック「むかい」に赴き、興奮した様子で「包丁を貸してくれ。」と要求して断られるや、同店に居合わせた知人の犬塚二郎(以下単に「犬塚」という。)に「今からやるんじゃ。」と言って同店を出て行ったが、間もなく引き返して来て同店内から自己の父方へ電話をかけ、応対に出た義母に対して、「これから決闘に行く。おやじにこれが最後の電話になるかもしれんといってくれ。」と伝言を頼んだ。甲野はその後直ちに店外に出たので、心配した犬塚が甲野を追って店外に出て「誰と決闘するのか。」と尋ねたところ、甲野は、「従兄弟だ。」と答え、引き止めようとした犬塚の手を振り払ってその場を立ち去った。

(五)  同日午後一一時二〇分頃、Bがポーラ営業所隣の駐車場へ引き返して自転車を移動させようとしていた際、甲野が長さ約一・二メートル、直径約四・五センチメートルの木の棒を携えて同所に現れた。そして、同人は、「家に遺言を言い渡してきたから、お前を殺してやる。」などと言いながら、右棒を両手で振り上げてBめがけて二回位殴りかかった。しかしながら、Bが付近にあった鉄柱の後ろに身体をかわして逃れたので、右棒はその都度右鉄柱に当たって折れ、甲野の手に残った棒の長さは約五六センチメートルになった。その頃、同所付近を岩永正が自動車を運転して通りかかり、喧嘩をやめさせようとして同人が「こらっ」と声を掛けたが、甲野及びBともこれに応じなかった。

甲野はなおも右棒でBに殴りかかろうとし、Bは逃げかけたが、ポーラ営業所前付近の路上で甲野がBに追いついた。

そして、同所において、甲野は、右棒を両手で振り上げて上段に構えたうえ、Bの頭部目がけて二回殴りつけた。Bは、頭部をかばってこれを左手で受け止めたが、その都度激しい痛みを感じた。同人は、激しく立腹するとともに、このままではさらにどのような暴行を加えられるかもわからないとの恐怖心を抱き、とっさに自己の身体を防衛するためには甲野を殺害することもやむを得ないと決意し、防衛に必要な限度をこえ、前記包丁を取り出して脇腹付近に構え、同人が右棒でさらに殴りかかってきた際、右棒を左手で受け止めながら、右包丁を力一杯前に突き出して同人の前胸部を突き刺し、同人に対して前胸部刺創の傷害を負わせた。その結果、同人は同日午後一一時五八分頃右刺創に基づく失血により死亡した。

(六)  甲野は、身長約一・七六メートル、体重約七四キログラムで体格がよく、剣道五段の有段者であって錬士の称号も持ち腕力が強かった。一方、Bは、身長約一・六一メートル、体重約五六キログラムであり、また、足に障害があって歩行が若干不自由であった(身体障害四級の認定を受けていた。)。

前記のとおり右両名とも本件事故前に飲酒していたが、Bはそれほど酩酊していたとは認められない。他方、甲野は、かなり酩酊しており(血中アルコール検査の結果、血液一ミリリットル中に二・四一ミリグラムのエタノールが検出された。)、運動能力及び判断力がある程度低下していたと認められるが、事理を弁識しそれに従って行動する能力は一応有しており、泥酔ないしそれに近い状態にまでは至っていなかった。

(七)  Bは、右犯行後間もなく自首し、殺人罪及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪で起訴され、昭和六一年二月一〇日に長崎地方裁判所で懲役五年の判決を受け(殺意を争ったが容れられず殺人罪の成立が認められ、過剰防衛であると認定された。)、その控訴審である福岡高等裁判所は、同年七月二四日、右同様の認定のもとに量刑不当の主張を容れて懲役三年(実刑)の判決を言い渡し、右控訴審判決は確定した。

また、被控訴人を含む甲野の遺族は、本件事故に関してBに対して損害賠償請求の訴えを提起したが、その第一、二審判決とも、損害賠償額の算定に当たって本件事故についてはBの過失が六割であり、甲野のそれは四割である旨認定した。

三  甲野の本件事故当時の酩酊の程度について、被控訴人は、泥酔に近い酩酊状態であって、本件が死傷事故にまで発展することを予見しそれを回避するために必要な注意能力を著しく欠き、運動失調、歩行困難、判断力鈍麻があったと主張する。

しかしながら、前記の血中アルコール保有量はさほど多いとはいえないし、甲野が当夜長時間にわたって飲酒していたとはいえ、その間場所を移動したり車の運転をしたりしており、継続して飲酒していたわけではなく、同人の飲み友達であった浜崎の供述記載(前掲甲第二号証の一及び乙第七号証)によると、甲野は酒には強い方であり湯割りの焼酎七杯程度が適量であったと認められるところ、同夜の酒量がそれを大きく上回っていたとも認められず、途中で浜崎をその自宅まで自己の運転する車で送って行ったこと(前掲甲第二号証の一の浜崎の供述記載によると、そのときの運転は蛇行運転であったというのであるが、その一方で甲野に送ってもらうことに不安は感じなかったというのであるから、ほぼ正常に近い運転ができたものと認められる。)、本件事故直前に父方へ電話をかけた際や犬塚との応答においても了解可能な応対をしていることなどから考えても、甲野が本件事故当時泥酔状態或いは被控訴人の主張する程度にまで酩酊していたとは認め難い。

なお、<証拠>中には、「暮六つ」で甲野と共に飲酒していた浜崎が、甲野の状態を見てこれは限界だと思って外に連れ出したとの記載があるが、浜崎がその後甲野に車で家まで送ってもらっていることなどからみると、右限界というのは、それ以上甲野に飲酒させると喧嘩などに発展するおそれがあるといった趣旨で述べられたものであって、甲野がそれ以上飲酒できないとの意味で述べられたのではないと認められるから、右記載をもって甲野の酩酊の程度が特に著しかったとみることはできない。また、<証拠>(前記Bに対する損害賠償請求事件における犬塚の証人調書)中には、甲野が泥酔に近いような状態であった旨の記載部分があるが、右調書の記載及び犬塚の検察官に対する供述調書(前掲乙第九号証)の記載全体を総合して検討すると、甲野の酩酊の程度が泥酔に近いようなものであったとは認め難く、右供述部分をたやすく採用することはできない。

四  よって検討するに、本件免責事由である重大な過失とは、商法六四一条所定の重大なる過失と同趣旨のものと解すべきであって、注意義務違反の程度が顕著であるもの、すなわち、わずかの注意さえ払えば違法、有害な結果を予見することができたのに、右注意を怠ったために右結果を予見できなかった場合をいうと解すべきである。

本件についてこれをみるに、甲野がBに対して前記二の(5)記載の暴行に及んだのは、前述のとおり、飲酒しながら同人と雑談していたときから既に同人に対してなんらかの理由で立腹していたし、それに加えて、自己よりも体力的にはるかに劣るBに地面にねじふせられたり、包丁を突きつけられて脅迫を受け逃走させられたことによって、ふんまんやるかたない気持を抱くに至ったからであると認められ、前述の親に対する電話の内容から判断しても、非常に強い決意をもってBに対する加害行為に及んだことがうかがえる。そして、甲野の右のような決意は、甲野が木の棒で殴りかかってきた際、Bにも当然伝わったものと考えられ、同人が強い恐怖感を抱いた(同人の供述中には、殺されると思ったとの部分もある。)のも理解し得るところである。そうすると、自己よりも体力的にはるかに劣り、かつ、足に障害があるため逃走が困難なBに対して右のような決意のもとにしつような攻撃を加えれば、同人においてたまりかねて反撃ないし防禦行為に出るかもしれないこと、かつ、少し前にほぼ同じ場所で同人から包丁を突きつけられて脅迫されたことからすると、その際同人が右包丁を使用する可能性があることは、わずかの注意をはらうことによって十分予見し得るところであったとみるべきである。そして、前述の甲野の酩酊の程度からみて、同人が右予見が不可能な状態であったとは考えられない。よって、本件事故は甲野の重大な過失によって招致されたものというべきである。

被控訴人は、生命保険、指害保険において重過失を免責事由としないのが現在の趨勢であること、現在の社会における保険制度の社会的、経済的機能などを考慮して、重過失の範囲を極力狭く厳格に解釈すべきである旨主張する。

損害保険会社の傷害保険に関する普通保険約款において重過失が免責事由から削除されたこと、また、現代の社会生活の中で保険制度の果たしている役割の大きいことなどは、被控訴人の主張するとおりである。しかしながら、被控訴人もその主張のなかで触れているように、保険契約において免責の制度が認められている根底には信義誠実の原則ないし公序良俗に照らして保険金の支払が不当であると認められるような場合には保険金の支払を認めないのが相当であるとの考えがあるところ、具体的にどのような場合に保険金の支払を認めないことにするかは、各保険約款において免責事由として具体化されているのであって、その各保険約款によって免責事由の定めに差異があるから、当該保険約款に定める各免責事由の文言に従って決定されるべきものである。そして、被控訴人も主張するように、我が国の法律等に規定された重過失の意義を前記のように解することについては判例上ほぼ確定しているところ、本件各保険契約が締結されるに当たって傷害特約及び災害割増特約において重過失が免責事由とされ、かつ、主契約に付加して締結された右傷害特約等において重過失を免責事由とすることを違法、無効ということはできない以上(被控訴人もそのような主張はしていない。)、右重過失の意義を特別狭く解釈すべき理由はないというべきである。なお、本件傷害特約等においては、故意又は重過失、犯罪行為のほかにも、精神障害又は泥酔の状態を原因とする事故、無免許運転或いは酒気帯び運転などをしている間に生じた事故も免責事由とされており、これらの免責事由との対比から考えても、重過失のみを特別厳格に解釈すべき根拠は見出し難い。

また、被控訴人は、甲野の遺族のBに対する損害賠償請求事件の判決において甲野の過失割合が四割と認定されたことに基づき、右の程度の過失は重過失とはいえないと主張する。しかしながら、右はBの賠償すべき損害額を算定するに当たって本件事故についての同人と甲野との間における過失割合を判断したものにすぎず、右判断は甲野自身の過失の程度が重過失に該当するかの問題とは直接関係がない(むしろ、包丁を用いて未必的とはいえ故意による殺人を犯したBの行為と木の棒を用いて比較的軽傷を与えたにすぎない甲野の行為とを比較してみるとき、甲野の過失割合が四割と評価されたことは、同人の過失が重大なものであったことをうかがわせるというべきである。)。

五  以上により、その余の点について検討するまでもなく、本件について免責事由が存するとの控訴人の抗弁は理由があるから、被控訴人の本訴請求は理由がなく失当として棄却を免れない。

右と結論を異にする原判決は不当であって、本件控訴は理由がある。よって、民訴法三八六条により原判決を取り消して、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について同法九六条、八九条を適用して、注文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大久保敏雄 裁判官 妹尾圭策 裁判官 中野信也)

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